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OCNさんに取材していただきました。

2012年07月27日

情熱

ケンさんとの会話の続きです。
ケンさん、くくるの乙女が音楽しているのは、私の思いが強くて引っ張られていると思っていたようです。
最近になって音楽の楽しさを感じてきたように見えるとのことでした。

私はそうかなと思いつつ、考えてみました。
最初、耳の聞こえない4人の乙女に音楽に挑戦してもらおうと説得しました。

耳が聞こえないから絶対に無理、音楽は大嫌いの一点張りでした。

私にはそうはおもいませんでした。
なぜそう思ったのか?
それは、ケンさんの一言でした。
聾者に対して私の歌の思いを伝えたいといいました。
歌を聴いてほしいとはいいませんでした。

その一言が私の心に刻まれていました。
歌を聞いてほしいといわれたら聾者には無理です。でも歌の思いを伝えたいのであるならば耳の障害は関係ないとおもいました。

聾者に歌の思いを伝えたいとおもっている音楽家はどのくらいいるのでしょうか?
そんなケンさんの思いを私は4人の乙女に伝えたかったです。

歌は聞いて楽しむものかもしれないけど、歌に込められた歌いての思い、顔の表情、真剣さ、歌っている人の個性、情熱、命の輝きに感動することはないだろうか?


ケンさんの歌の思いを歌で伝えることはできないけど手で手話で伝えることはできないだろうか?



今までの手話歌はほとんど健常者がしています。聾者からみて健聴者の手話歌は耳の聞こえる人の遊びに見えるといわれました。
みていても意味がまったくわからない、つまらないとのことです(手話と振り付けが混同していたりして意味がつかめない)
手話歌している健聴者は耳の聞こえない人に音楽を楽しんでほしいと頑張っています。

そこに大きなギャップがありました。

 それならば聾者が手話歌をしたらどうなるんだろうか?

無理だの連発でしたが、やれるものならやってみたいと思ってくれるようになりました。
最初にしたことはケントミさんの歌の解釈、そして歌に秘められたケントミさんの思いを知ることから始まりました。

わからないことはケントミさんに尋ねました。

歌の思いを勉強するのに一ヶ月かかりました。
ケントミさんの思いを理解していくにつれ、くくるの乙女の目は輝いてきました。

歌に込められた思いを考えたことはなかったくくるの乙女です。



歌に秘められたケントミさんの思いと病と格闘しながら”今”このときを精一杯生きてる二人を最高に表現するにはと暗中模索の日々が続きました。




ペルー料理手話カフエくくる

  くくるは沖縄の言葉で心の意味です。




Posted by カフェくくる うるとらまん at 00:45│Comments(0)
 
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