くくるへの思い
ろう者が手話で自由に会話して喜んでもらえるカフエ、手話を広め、耳が聞こえない人、聞こえる人が歩み寄りくくる(心)を分かち合って 欲 しいとの思いから手話カフエくくるをオープンして2年半が過ぎました。
県外からのろう学校の生徒さんが修学旅行での来店、県内外から多くのろう者、手話関係者が集ってきてくれました。
県外からこんな観光地でもないくくるへ探してきてくれたのです。全国各地の手話が沖縄にいながらにして楽し
めることは信じられないことでした。
耳が聞こえない4人の乙女でくくるバンドを結成しケントミファミリーとして小学校等でのライブ活動をしてきました。 ケントミフアミリーは 知的、精神、身体障害あるメンバーとサポーターのメンバーで構成され ユイマール(助け合うこ と)精一杯生きること を伝えてきまし た。 くくるの乙女は手話歌、ドラム、ピアノなどの楽器に挑戦し手話歌、手話通訳などをとうして手話への理解を深めることに頑張ってく れました。
それを可能にしたのはケンさん、わくがみさん、西口さん、吉澤さんをはじめ多くの方々の献身的な応援のおかげです。感謝感謝です。
今年になり地域からの声がかかり村の和仁屋公民館での新年会、東京都立中央ろう学校の修学旅行生徒との音楽交流、奈良県立ろう 学校の生徒さんとのひまわり畑、シーサー作り体験と地域の人々との交流をしてきました。
地域の方々は耳が聞こえないことへのコミニケーションの不安などありましたが、実際に高校生と触れ合い、手話への理解を深める絶好 の機会となりました。
修学旅行生には地元の人々、沖縄のろう者との交流は沖縄の暖かさは自然だけでなく人も暖かいと喜んでくれました。
そのようなくくるの活動は新聞雑誌テレビなどで何度か紹介されました。無我夢中の2年半でした。しかし、このままでいいのだろうかと疑 問を持ち始めました。
一つの疑問は手話カフエへの疑問です。
忙しくなると料理を作ったり接客に追われ手話で会話ができなくなります。お客様が少なければ経営は難しい、多ければ手話カフエでなく なります。手話に興味がない人にも自然な手話に接してもらいたいとの思いがうまくいきません。
2つ目の疑問はくくる(こころ)を分かち合って欲しいとの思いへの疑問です。
ククルを分かち合って欲しいとの思いのきっかけは盲ろ者との出会いでした。彼から彼の所属する宗教団体での座談会への手話通訳を 頼まれまし たが、そこの幹部から迷惑だと7年間断れ続けられています。
座談会でポツリと暗い音のない海の底のような世界にいること、私達健常者の100分の一でいいから、情報が得られ 共に笑い泣きたい ことを伝えることができない自分に情けなくなりました。
彼と最近会いました。彼は手話通訳に来て欲しいと言いませんでした。彼は我慢し、我慢していることに慣れてしまっていました。そうしな ければ生きていけない社会、それに何もできない自分、力もなにもない自分が本当に今のままでいいのだろうかと疑問に思いました。
料理人が健康上の理由から仕事ができなくなったことで休業状態となりましたが、そのことが、私にくくるへの思いを思考する機会を与えて くれました。
今後のことは明日書きたいと思います。
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