9月24日
最近ユンケル3人組みはとても元喜だ。
3ヶ月前、病院に3人とも入院していたときは90歳の元気のないおじいちゃんのようだった。
この調子でいけば最高なんだが・・・。急に調子が狂うことを心配した。
わくがみさん達に相談した。
Aさん
急に調子が悪くなること多いです。前兆なんかわからない。
パニックなったとき、親からキチガイといわれたのをおぼえている。
医者も私の病気はよくわからないみたいみたいだ。
うるとらまん
医者がわからないんじゃ大変じゃん。
Aさん
医者も試しに薬をあげてダメなら別の薬にかえるの繰り返しだよ。
Kさん
それはありますね。どうしてだかわからないけど落ち込んでしまうんで す。
わくがみさん
落ち込んでもいいんじゃないの。
人生は七転びチャークルビー
(転んでばかりいることの意味の沖縄方言)だから。落ち込んだら休ん で、また、歩きだせばいいとおもうよ。
七転びチャークルビーをきいて
ある書道家の言葉
失敗してもいいじやない
人間なんだから
をおもいだした。
三人は薬の管理、定期的に病院通院、睡眠、無理をしないことなど、キチ ンとしている。それでも落ち込むことはあるかもしれない。
健常者でも落ち込むことはある。
障害ある人ない人関係ない。人間であることにかわりはないいんだから。
人間だから、失敗すること、落ち込むことはあたりまえなんだ。
大事なのは、落ち込んだら、ゆっくり休んでもいいから、また、歩き出す ことだと思いました。
ユンケルネーネーとは去年、初めて顔を会わした。
元喜ねと声をかけるが無表情で返事はなかった。
いつも眠そうな顔していた。
薬の影響かなと思った。
8月ごろ、西口先生の遊書ライブの話をした。
彼女が初めて「字は好き」と答えてくれた。{元気?」と挨拶して30回目ぐらいではじめての会話だった。
西口先生は丹精こめて彼女に字を書いてくれた。
彼女は字の意味はよくわからないと言った。
ユンケルがお姉さんには難しい書といった。
でもユンケルネーネーの顔には、何かがはじけたような晴れ晴れとした顔をしていた。
いつもの薬漬けのような無感動の顔ではなかった。
それから、しばらくして会った。
今度は以前より会話してくれた。ケントミさんのCDを毎日聞いているとのことだ。詩がすばらしいと喜んでいた。
ケントミさんのCDで一番すきなのが「時をみつめて」の曲だそうだ。
自分の境遇とケンさんの思いの歌、時をみつめてを重なり合わせているようだ。
彼女がケントミさんの歌のことを話しているとき初めて彼女の笑顔をみた。
わくがみさんと、うどんちゃんがくくるに音楽を教えに来てくれるようになった。
わくがみさんは、最初は聾者に健常者が合わせる音楽をしたいとくくるにきた。
そこにユンケルがいた。
ユンケルがわくがみさんと、まるで昔からの友達であるかのように楽しそうに話していた。
ユンケルがこんなに初対面の人と話をするのは見たことがない。
わくがみさん自身3年間うつ病で苦しんだ経験があった。
わくがみさんは心の病ある人の気持ちを理解していた。
その二人の楽しそうな会話を、ユンケルネーネー黙って聞いていた。
うどんちゃんが彼女に声をかけた。初めはポツリポツリ断片的だった。
うどんちゃん、何度でも彼女に話しかけた。
そして先々週の土曜日、うどんちゃんのライブの最中にうどんちゃんが彼女に話しかけた。
驚いた。「なーに」と顔を振り向きながら答えたのだ。
私は涙をこらえるのが精一杯だった。
彼女の劇的変化に同じ病院の友人が驚いていた。
嬉しいことだ。彼女は明るくなった理由はくくるが楽しいからと友人に答えているとのこと。
来週の日曜日に福祉祭りにくくるバンドが出演するけど、楽器なんかしてみないと私は思い切って彼女に相談した。
答えは、タンバリンをやってみたいとの返事だった。
鳥肌がたつような感動が私の全身を駆け巡った。
中学ではピアノを習っていた。音楽の基礎はある。
ただ、中学でのいじめで心の病気が発病し数十年間、入退院の繰り返しだ。
くくるに来る前はほとんど家での生活だ。
そんな彼女が、やりたいことを意思表示したのは、ものすごい勇気が必要だったと思う。
西口先生、ケントミさん、わくがみさん、うどんちゃん、その他の多くの方々との出愛いの力に感謝です。
彼女は音のない世界に生きてきたくくるのスタッフ達が音楽に取り組む姿に、何かを感じているようだ。
音楽の力、そこには耳の障害、心の障害は関係ないのではと感じた。